戦争と平和について

戦争と平和。暴力と法律。世の中から争いが無くならない事から考えるに、これらは人類の永遠のテーマですね。まずは戦争に発展するまでの過程を考えてみたいと思います。私としてはこれは個人間の喧嘩と同じだと考えています。

 

最初は本当に小さく些細な事から争いが起きると思います。それは考え方の相違いであったり、宗教であったり、欲望であったり・・・

 

例えば二人の人間が居るとしてAが「貴方の土地(領土)が欲しい」とBに告げるとします。これが単なる土地の売買であれば、普通にお金を払ってBの土地をお買い上げ頂き普通に円満解決です。

当然そんな場合は争いは起きません。

 

しかしこの時にAが「どうにかしてBの土地を格安かタダで欲しいという悪い考えを持ち、一応その話をBにしてみます。

当然Bは「先祖代々のこの土地を格安やタダで譲る訳にはいかない。ご先祖様に申し訳ない」と丁重にお断りします。

 

するとAがどうにかしてその土地をお得に手に入れてやろうと思い「暴力・脅し」を使い自分有利に物事を進めようと模索します。そしてBを殴りムリヤリ不動産(土地)の権利書の名義変更をさせて土地を手に入れます。

・・・この様に最初どちらか一方が最初に手を出さない限り、絶対に争いが起きる筈もありません。

 

 

すると殴られたBは数日後日本刀を持ってAを何箇所か斬りつけました。Aは病院送り。

すると今度はAの親戚Cが復讐の為、散弾銃を持ってBのお家に来て撃つとAの頭はショットガンで吹き飛びました。

すると今度はCの家をBの友人Dたち数人が復讐の為、焼き払いました。

すると今度はCの会社の友人Eとその友人がDたち一家全員親戚中をコロしました。

すると今度は・・・100人の集団で報復が・・・

すると今度は・・・軍隊が重火器を持って・・・

すると今度は・・・国が核兵器を使用して・・・

 

この様に暴力が暴力を生み負のスパイラルが発生するのだと思います。

日本や世界も今までの歴史の中で「暴力が強いヤツが1番強い」という短絡的な思考を持って争って来ました。

 

日本国内であれば「戦国時代」が正に「暴力による支配の時代」であり、

世界で見れば「第一次世界大戦・第二次世界大戦」が「暴力による支配の時代」と言えるでしょう。

 

 しかし人間は過去の失敗から学び進化・発展の出来る生き物です。その為どの世界に於いても存在する「ルール」と言う名の「法律」を創り上げ、これに反したものは罰や罪が課せられる様になりました。

 

私は以前経営者や高い地位にある人など色々な人に「貴方は暴力と法律はどちらが上だと思いますか?」という質問を投げて廻りました。

 

色々な回答が返ってきました。中には「警察が到着するまでにコロしてしまえば勝ち」等という暴論を吐いたとある政党信者のヤバイ人もいました。しかし僕が1番印象に残って正解だと思えた回答というのは

暴力の上に法律が出来た

という内容でした。確かにこれが1番正解に近いかと思われます。人間はみんな上の立場を目指して努力する事があると思います。その為超えなければならない事が多くあり、その中では争いもあるとは思います。

 

しかし戦国時代の暴力のトップ・第二次世界大戦の暴力のトップが毎日毎日飽きもせずに殺し合いをしたい・殺し合いが楽しいと心の底から思っていたと思いますか?それは無いですよね。

 

大体が暴力・力によって相手を従えたり国民を従えたりした後はルールという名の法律を制定して平和な世の中を目指したと私は思います。

 

この世の中には誰かがその人の価値観に因って定めたルールというものがそこらかしこにあります。

先程も述べましたがこれに反すると罰や罪に課せられるのは勿論なのですが、更には世間からの信用を失い・つまはじき・仲間はずれにされます。

 

だからと言って価値観はその国々に因り多種多様なので決して1つに纏め上げる事は不可能でしょう。そこはバランスを取りながら、上手く折り合いをつけてやっていかなくては成らないのでしょう。本当に難しい事ではあります。

 

けれど世界各国が共通して「絶対にダメ」という人間としての最低限のルール・道徳心というのは必ずあります。例えば

「人を殺すのは良くない事」

「何もしていない罪の無い人を攻撃する事」

「何もしていない罪の無い人の人生を理不尽に破壊する事」

等です。

 

これら道徳心を持って付き合い・大きな心で許し合い・助け合い・補い合い・大局的な目で何年後かの先を見据えて未来に進んで行く事が出来れば、きっと世界は明るい方向に向かって行けると私は考えております。